BLOG
-
2017(平成29年)の歳時記 我が家のニワトリ。
明けましておめでとうございます。
福正寺の基礎の型枠が外れました。
引き続き、ブログで工事過程を
UPしたいと思います。
本年もよろしくお願いいたします。
営業の伊藤でした。
-
12月の歳時記
12月3日・4日 四国に旅行に行きました。
九四フェリーで佐賀関を出発。途中、祖谷の「かずら橋」
大豊の「日本一の大杉」を見て高知市内で宿泊。
翌日、一番の目的の「高知城」を見学しました。
土佐の領主の「長宗我部元親」が四国を統一した直後、
「豊臣秀吉」に征服され、関ケ原の戦いで西軍に味方した
息子「盛親」の時に改易となる。
NHKの「真田丸」に登場した様に、「大坂夏の陣」の
大阪城落城のあと、捕えられて斬首。
一方、秀吉の家来だった「山内一豊」は東軍に付き、
遠州掛川から入封。
以降、山内系の家臣(上士)と旧藩主長宗我部系の
(下士)が対立し続けた。
山内一豊は、高知城を築き、以来16代に渡って
土佐藩を治める。
時は巡って、下士だった「坂本龍馬」が15代「山内容堂」
を説得し、大政奉還が成立し、結果、徳川幕府が滅ぶ。
高知城の天守閣から市内を眺め
改めて、歴史の皮肉さと、面白さを味わいました。
12月5日~8日 長男家族が、正月の帰省を早めて、
孫を見せに、東京から帰って来ました。
爺ちゃんデビューして1年半ですが、
日頃会わないせいか、あまり爺ちゃん気分に
なりませんでした。
それでも、私がいなければ、この子は存在しないと
思うと、血の不思議さを感じました。
12月5日 福正寺本堂の基礎工事に着工しました。
約一か月かけて、完成予定です。
並行して、木材の切り込み工事をしています。
以上営業の伊藤でした。
-
11月の歳時記
11月13日 福正寺の地鎮祭・起工式を執り行いました。
11月28日 敷地の一部分地盤改良完了。
12月からいよいよ基礎工事にかかります。
11月6日 大分市美術館にアルフォンス・ミュシャ展を
観に行きました。
ポスターなどの商業美術という先入観がありましたが
実際に観て、カラーリトグラフの繊細な表現が見事で
どの作品も素晴らしいものばかりでした。
本物を見ないと、本当の良さは解らない事を改めて
感じました。
11月21日 ブリックブロックであった永井龍雲の
ライブに行って来ました。
昔から好きなフォークシンガーですが、ピアノと
ギターだけの弾き語りで、持ち味の高音は相変わらずで
全然、衰えを感じませんでした。
40周年記念曲の「顧みて」という新曲も披露
しましたが、やはり龍雲には
歌をじっくり聴かせる
狭いステージが良く似合いますね !!
11月22日 同じブリックブロックで 「JAJA」 の
ジャズ演奏を聴いてきました。
毎年恒例の演奏会ですが、オリジナル曲ばかりで
プロの超絶テクニックを堪能してきました。
11月30日 iichikoグランシアタに松山千春デビュー
40周年記念コンサートを聴きに行きました。
歌とトークのバランスが絶妙で、観客を飽きさせない
演出、技術は流石でした。
かぐや姫の歌も含めて、アンコールにも3回応じて
「観客を満足させて帰す」術を心得ていて、これまた
満足して帰りました。
彼は声量もあって、スケールが大きく、広い会場が
マッチしていました。
3名のコンサートに行って、出演料を払うアマチュアと
それを頂くプロフェッショナルの違いを実感しました。
以上、芸術の秋を満喫した営業の伊藤でした。
-
10月の歳時記 - その2
10月23日 詩吟(淡窓伝光霊流佐賀関詩道会と坂ノ市
詩道会)の秋の合同発表会が大平の「吉田会館」で
開催されました。
今年は坂ノ市詩道会の高野詔霊さんが、財団の全国
コンクールで9位という快挙を成し遂げられました。
吟歴40年のベテランで入賞吟の「桑乾を渡る」を
披露しました。
発表会のあとは、恒例の懇親会で、美味しい
お酒を頂きました。
10月25日 マレーシアから一時帰国の長町様ご夫妻
(以前ブログ登場)と友人夫妻。家内の6名で食事会
をし、土産話をうかがいました。
私を除いて皆、東南アジア旅行の経験があり、私一人が
蚊帳のそとでした。
10月5日の番組「もしもの二人」というTVに出演され、
クリス松村と大林素子の訪問をうけ、マレーシアでの
リッチな生活ぶりを披露していました。
10月30日 佐賀関市民センターの広場で恒例の「佐賀関
ふるさと祭り」が開催されました。
今年は四社合同の「扇子踊り」「草地踊り」「鶴崎踊り」
の参加を頂き
私は「関の鯛釣り踊り」の唄で参加しました。
会場では、物産展もあり大賑わいでした。
以上営業の伊藤でした。
-
10月の歳時記
10月17日 いよいよ、佐賀関の臨済宗(福正寺)寺院の
解体工事が始まりました。
佐賀関は、江戸時代肥後藩の飛び地として治められており
当時の細川公が、参勤交代の折に立ち寄り、宿泊した
関会所・お茶屋(現在市営住宅)がありました。
この場所は、当時大変賑わい、城下町の様子を呈していた
と、記録に残されています。
お寺の家紋も「離れ九曜」で細川公と密接な関係に
あったことが忍ばれます。
元々福正寺は、この関会所の場所にあり、火災のあと
現在地に新築されたそうです。
お寺の解体時に見つかった、棟札には「文政5年」
上棟の記載があり、今から200年前に建築された事が
分かりました。
構造躯体は、現在もしっかりしており、木造建築が
いかに強いかを証明しています。
造ることは大変ですが、壊す(滅びる)ことは一瞬ですネ!